院長ブログ一覧

糖尿病の歴史30 ミンコフスキー膵臓摘出実験 (2)

膵臓摘出実験の続きです。手術を受けたイヌはそこらじゅうに排尿するようになります。ミンコフスキーはしつけが悪いとイヌの世話人に苦情を言いますが、世話人にしつけは良かったと反論されます。そこで初めてミンコフスキーはしつけの悪さが多尿症状であることに気づき、糖尿病を疑って尿糖を測定しました。

ミンコフスキーの上司が糖尿病の大家、ベルナール ノーナンであり、ミンコフスキーが糖尿病をよく知っていたことが幸運でした。この思いがけない発見により、膵臓と糖尿病の関係が確立しました。ミンコフスキーは細かく観察します。


膵臓を摘出すると糖尿病が発症した。糖尿病は数日後に始まり、死ぬまでの数週間続いた。尿糖が出現し、加えて多尿、口渇、空腹、体重減少、悪液質(栄養失調による全身衰弱状態)が出現した。

48時間絶食後の尿糖は5-6%。完全肉食で6-8%の尿糖、毎日1Lの多尿。ブドウ糖食で13%の尿糖が出た(16kgのイヌ)。尿はアセトンを含んでいた。血糖が上昇し、1匹の犬で0.30%(300mg/dl)、他のイヌで0.46%(460mg/dl)だった。臓器のグリコーゲンが消失していた。

「糖尿病のイヌ」から「健康なイヌ」に血液を輸血しても、「健康なイヌ」に尿糖は出なかった。太陽神経叢(腹部にある自律神経叢)は障害されていなかった。脂肪吸収は強く障害され、投与した蛋白の利用も障害されていた。


注:アセトンはケトン体の一つです。尿に出ると特有の甘酸っぱい臭いがします。 インスリンが欠乏すると炭水化物の代謝が障害され、脂肪の分解が亢進して血中にケトン体が増加します。典型例は1型糖尿病にみられるケトアシドーシス昏睡です。


平成27年12月2日

糖尿病の歴史29 ミンコフスキー膵臓摘出実験 (1)

1889年、ヨゼフ フォン メーリング(1849-1908)とオスカー ミンコフスキー(1858-1931)が「膵臓を摘出すると糖尿病が発症する」ことを再発見します。

メーリングはクスマウルの弟子です。クスマウルは糖尿病性ケトアシドーシス昏睡の時の深く大きな呼吸、クスマウル大呼吸に名を残す人で、この病態にアセトン血症ということばを作った人です。メーリングはクスマウルの影響で糖尿病に興味をもち、1885年にフロリジン糖尿(フロリジンを注射すると、腎臓での糖の扱いが変わり、尿糖が出ます)を発見します。フロリジン糖尿自体は糖尿病と関わりがないのですが、その〜100年後にSGLT2阻害薬の開発につながります。彼はミンコフスキーと膵摘出実験をしたのち、バルビツール系睡眠薬研究に進み、1902年にエミール フィッシャーと 世界最初のバルビツール系睡眠薬(バルビタール)を合成します。

ミンコフスキーは今のリトアニア出身の人です。とても器用な人だったようで、1888年に世界で最初の肝臓摘出術(ガチョウ)を成功させ、肝臓手術の父でもあります。


1889年、ミンコフスキーは雑誌を探しに別の施設に行き、そこでメーリングと出会います。2人はリパニン(膵酵素製剤)の役割について討論します。メーリングは「膵酵素は脂肪分解に必要」と主張しますが、ミンコフスキーはこれに反対します。しかし議論するだけでは決着がつきません。2人は「白黒を明らかにする最も良い方法は膵臓摘出実験である」と考えます。このときメーリングは自分の研究所で膵管結紮術を行っていましたがうまくいっていませんでした。その日の午後のうちに手術の上手なミンコフスキーが、メーリングのイヌを用いて膵臓摘出術を行います。


メーリングは不運でした。肺炎をおこした義父を見舞うために研究所を数日不在にします。そのため「膵臓を摘出すると糖尿病が発症する」という発見はミンコフスキー単独の業績とされます。


平成27年11月10日

糖尿病の歴史28 ランゲルハンス膵島の発見

膵島(ランゲルハンス膵島)は膵臓にある内分泌器官です。膵臓の海に浮かぶ島という連想から膵島と名付けられました。膵島からインスリンが分泌されます。

膵島はパウル ランゲルハンス(1847-1888)が学生時代に発見しました(1869)。彼は小さい時から頭がよく、グラウエス クロスター学校(中等教育機関)で飛び抜けた成績を示し、最終の口頭試問を免除されています。彼は医学の勉強をイェーナ大学で始めましたが、膵臓観察はベルリン病理研究所で行っています。1867年夏に膵臓研究を始めますが、医学部賞を得るために研究を1年間中断します。医学部賞(神経皮膚疾患における知覚小体の研究)をとった後、1868年秋に研究を再開し、翌年1869年2月に「膵臓の顕微鏡的解剖への寄与」と題する学位論文を発表します。彼の論文につけられたコメントには、「彼の結論をみると新しいことは何ら発見していない、この論文に至った彼の努力を見てほしい」とあります。しかし、その論文の中に膵島を見つけたことが記されています。


膵臓には外分泌腺中に島状に分布する直径0.12-0.24mmの独立した組織塊がある。そこは周囲より豊富に神経が集まっている。働きはわからない。リンパ節かもしれない。


ランゲルハンス膵島以外にも、彼の名前を冠したランゲルハンス細胞があります。それは皮膚にある樹状細胞で、ランゲルハンスが1868年に発見しました。彼はその形から神経細胞と信じましたが、免疫に関係する細胞です。


平成27年10月20日

糖尿病の歴史27 19世紀頃の糖尿病

時代は200年ほど飛びます。19世紀頃の医学〜糖尿病はどのようだったでしょうか。

19世紀初頭から病理学が発展します。病理学は病気で亡くなった人を解剖して病気の原因を探りますが、 病理学では糖尿病の原因はわかりませんでした(当時は肉眼での観察です)。19世紀半ばに細菌学が勃興します。「糖尿病の原因は感染」と考えた人がいましたが、間違いでした。

生理学に新たな発見がありました。これまで「糖は植物由来、動物は糖を作ることができない。血液中の糖は食後のみ、あるいは糖尿病のような病的状態でしか認められない」と考えられていましたが、動物も糖を作ることが分かってきました

クロード ベルナール(1813-78)は (1) 飢餓状態でも動物の血液中に糖が存在し、(2) 肝静脈の血糖は門脈よりもっと高濃度であることにびっくりします。血液は、消化管→門脈→肝臓→肝静脈の順に流れます。肝静脈血の方が門脈血よりブドウ糖が濃いということは、肝臓が糖を分泌していることに他なりません。そして肝臓にグリコーゲン(分解するとブドウ糖になる)が存在することを発見します。

当時、糖尿病は不安定な精神、過剰な情欲と関連して発症すると考えられていました。糖尿病は頭脳労働者に多い。人ほど複雑な心を持たない動物は糖尿病が少ない。ベルナールは大脳第4脳室を刺激すると肝の糖産生が増加することを発見しました。そして「糖尿病は頭の病気」と結論します。

ベルナールは膵液の消化作用を発見した人としても有名です。


平成27年10月2日

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